おかげさまでSAVEも30号まで発行することができました。これも会 員のみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。しかし、長年 続けてきた情報誌SAVEもついに次のようになってしまいました。 「SAVE事務局散開、活動終了」 この4月1日に約10年ぶりにYMOが再生しましたが、それとは逆にS AVEがとうとう終了することになりました。5年間の活動でしたが、今号 はその最終号としまして、永久保存版としてお届けしたいと思います。この 最終号があればSAVEに関することがすべてわかるように特別編集してあ ります。各コーナーも最終号にふさわしい内容となっています。 <SAVE関係者からのメッセージ> §SAVE代表 1988年3月に始まった情報誌SAVEも満5年も経ちました。5年前 はPC−6601SRが出てから3年位でしたから、まだ、パソコン雑誌に はP6の記事が結構出ていたものです。当時私は、PCマガジンの投稿コー ナーに毎月投稿していて結構載りました。また、SAVEの第1次会員(初 期会員)もPCマガジンに載り集めたもので、何かとお世話になったもので す。そのほかI/Oやベーマガにも会員募集の記事が載り、一時は会員数も 50人近くになりました。その後徐々に減り、現段階で9人になってしまい ました。したがって以前公言した通り(10人を切ると会報を打ち切る)に、 また、30号という区切りの良いところでSAVEを終わらせることにしました。 現在ではP6の記事はほとんどなく、かろうじてベーマガにポツリポツリ と載っているのが見受けられます(今はもうない)。また、SAVE発足当 時全盛だったPC−8800シリーズも今では消え、PC−98シリーズが 全盛となっています。このように、5年も経つと時代が変化するということ なのです。私も1983年12月に、PC−6001mkUとPC−60m 43、PC−DR330とそのたのおまけで約15万円で買ったのが最初の パソコンでした。いちばんはじめに買った市販ソフトは九十九4人麻雀でし た。当時はポートピア連続殺人事件の「ハイ、ライライケンデス」というボ イスが内輪ではやり、よくまねたものでした。そして、1986年9月、P C−6601SRを中古で買ってから本格的にP6関係のソフト、ハードを 集めました。このころ、パソコン雑誌に毎月のようにP6サークル紹介記事 が載っていて、「これならいっぱい情報が入る」ということで当時は許され ていたパソコンソフトレンタルに通い、情報を集め、サークル開設の準備を 進めていました。そして1988年3月、SAVEの発足となった訳です。 当初はP6一筋をモットーに活動していましたが、徐々に上位機種に魅せら れ、1992年2月、PC−8801MCを中古で買ってしまいました。こ れが約1年前のことです。このときはP6ではやることのできないゲームし かやっていませんでした(特に英雄伝説)。その後、学校で98を使うこと が多くなり、それまでは88の春望等で文章を書いていましたが、一太郎を 使うようになってから味をしめ、いまでは楽に扱えるようになり、66のユ ーカラJJで書いていた時代がなつかしく思えるようになり、この3月に9 8FELLOWを購入してしまいました。一体、66しか使わない主義はど こへいったのでしょうか。それでも1週間に1度はP6を使うようにしてい ますが、これもいつまで続くのかが問題です。しかし、このような理由でS AVEが終わるわけではありません。SAVEの終わる原因として次の事が 挙げられます。 @会員数の減少 AP6情報の減少 Bスタッフの多忙 C会員からの反響がない せっかく会員から会費を徴収しているのだからよりよいものにしようと毎 回努力しているのですが、@にはどうしようもありません。会員数が少ない と、やりがいがなくなっているのも事実です。また、Cも同じような事がい えます。次にAですが、SAVEが提供するP6の情報はほぼ出尽くしたも のと思われます。従って、これ以上の新しい情報は望めません。Bについて はこの春からSAVEのスタッフが全員社会人になり、思ったように活動が できなくなってしまったからです。実は、この原稿は29号が発行される前 から少しずつ書いているもので、制作には約7カ月もの期間を費やしていま す。このように、私も含め、スタッフが多忙となり、なかなか会報を発行す るまでには至らないのです。 とりあえず、挨拶はここまでとして、続きは雑談コーナーで述べたいと思 います。 §SAVE旧編集担当 H.I氏 新しい編集体制となっていつも拝見しているのですが、私が担当していた ときよりも内容が濃くなっていて非常に嬉しい限りでした。しかし、もう終 わってしまうと聞いてとても残念に思います。私は創刊号から(実際は臨時 1号から)編集作業を承っていましたが、最初はB4の用紙1枚に少ししか 書いていなかったものが、現在ではB5で10ページを越えるものとなって います。これも会員のみなさんのおかげです。ありがとうございます。SA VEの作業でいちばん大変だったのは会報の電算化です。電算化といっても 手書きの文章をワープロ打ちにするだけのものでしたが、これがけっこう手 間や時間がかかってしまいました。しかし、手書きとは違い、間違いを発見 するとすぐに変更できるところが便利でした。差し替えも楽でしたし、おか げで一太郎(当時はJS−WORD)の使い方もマスターできました。 これからも、このような機会があったら是非協力したいと思います。本当 に長い間お疲れさまでした。 §現編集担当 H.Y氏 私は、編集担当をやらせて頂いて、今回で4号目になると思いますが、S AVEに入会したのが11号でした。その頃は、情報がわんさと(そんなに ないか)あったので、P6は生きている!と思っていました。(確かその頃 はベーマガでも元気でやってたと思う)しかし、今ではSAVEが危機に迫 っているのはなんとも悲しいことです。P6を復活させるには、スピードと メモリさえあればいいのですが、前者はBASICでは無理で、マシン語( アセンブリ)を使うしかなく、後者はそういう技術者がいないので無理なわ けです。とすると、P6はまちがいなく消えてしまうのです。何かP6でも できることはないのでしょうか。既にP6を見捨てた(忘れた?)NECの 言うとおり、速さは力なのでしょうか。 <MUSICランダムコーナー最終回> 実は、最終回という事でこれまでのSAVEのMUSIC関係記事の総集 編をやろうと思ったのですが、すでに25号でやっていました。そこで、今 回はMIDIについて紹介したいと思います。 MIDIは音楽情報のRS−232Cと考えるとわかりやすいと思います。 従って、MIDIのついている楽器ならそれらをつなぎあわせることによっ て、データの交換ができるのです。また、キーボードの世界では、今までは 異なるメーカーでは音色のフォーマットが独自のものでした。よってMID Iでデータの互換性はあるものの、音色については目的の機種による音色番 号に合わせなければなりませんでした。その情報も統一しようと考え出され たのがGM(General Midi)フォーマットです。最近のキーボ ードではGMフォーマット対応となっているので異なるメーカーでもデータ 交換が可能となりました。GMフォーマットの上位互換としてローランドが GSフォーマットを設定しました。これはGMよりもさらに細かな設定が可 能となっています。 最近のキーボードには音楽データをフロッピーに記録 する装置(シーケンサ)が装備されていますが、このフォーマットも統一し ようとスタンダードMIDIファイル(SMF)形式ができました。これに より、フロッピーベースでは異なるメーカー、機種についてデータ交換が可 能となった訳です。このシーケンス部分をパソコンがやることによって、大 量のデータの取扱いが可能となりました。当時は88(中にはP6の時もあ った)が主であったが、現在はほとんど98(一部X68000、プロはM ACなど)で占めています。データ交換も標準化されたため、パソコン通信 を利用して大量のデータが行き来している時代になりました。従って、パソ コンミュージックをやる場合、最低MIDIインターフェスと音源(GS, GM)があれば、わざわざ内蔵のFM音源やPSGを使わなくてもミュージ ックができるのです。 パソコンを使ったMIDIデータの入力ですが、これにはさまざまなソフ トが出ています。これまでPSGやFMの入力と同様の方式もできますが、 MIDIキーボードを使えば弾いたものがそのまま記録する事もできます。 つまり、パソコンがシーケンサの代わりになるという事です(図1)。 MIDIシステム構成図 ョ「「「「イ ョ「「「「「イ ョ「「「イョ「「「「「イ 、パソコン、 、シーケンサ、 、音源 、、キーボード、 カ「ホ「「コ カ「「ホ「「コ カ「ホ「コカ「「ホ「「コ 、 入出力装置 、 I/F 、 入力、装置 カ「「「「「「「「「ヨ「「「「「「ヨ「「「「「コ つまり、リアルタイム入力をしたい場合にはキーボードを、入力したデー タを記録するにはパソコンかシーケンサを、聞きたい場合には音源を用意す ると便利になります。必要最低システムとしては音源とパソコン、またはシ ーケンサを用意するだけでよいのです。あとは必要に応じてキーボードやエ フェクタを揃えればよいでしょう。 最近ではこうして作られた音楽データがパソコンネットなどで大量に出回 っているのでそちらを聞くのもよいでしょう。すばらしいデータばかりです。 ちなみに、一般にはスタンダードMIDIファイル形式は拡張子が.MID となっています。しかし、ネットにダウンされているほとんどが圧縮ファイ ル(拡張子が.LZH)となっているので、解凍してやらないといけません (シーケンサを使う場合。パソコンを使う場合には、圧縮したままでも聞く ことができる)。 当局では、MIDIを積極的に取り入れたのが2年くらい前からで(その ときはキーボードにシーケンサという単純なもので、その後音源をいれた)、 パソコンに導入し始めたのは1年くらい前からです。これまで所有するMI DIデータの数はかなりの数になったので、整理するのに苦労している次第 です。MIDIについての質問などありましたら、今後も受け付けているの でどんどんこちらにお寄せください。最近通信を始めましたので(Nift y−Serveなど)、入っている方がいましたらID等を教えてください。 <特集.P6と私> 今回は30号記念として会員のみなさまに「P6と私」という題で論文を 書いてもらいましたので、ここに発表します。そのあと、代表のコメントを いただきます。 @.6869(特別会員) P6を未だに使っている理由として一番初めに買ったマシーンであり、一 番シンプルなマシーンであったため未だに使用する事が出来るのだろうし使 っているのだと思う。 最近、CPUのクロックを上げ、メモリを多量に使用したマシーンが出て いるが、マシーンの性能はかぎりなく上がっているのに、その反面それを使 うユーザーや、プログラマーの質が反比例して低下してきています。特に、 プログラマーの質が悪くなっているように思います。プログラムの欠点、不 足しているものをすべて、マシーンにたよってしまい、8bit機の時のよ うなテクニックなどほとんど見かけなくなってしまいました。できることで あれば、プロのプログラマーであるならせめてマシン語でプログラムを書い て欲しいものです。アマチュアが管理できるマシーンは、P6程度で充分と 思いますがいかがでしょうか。 A.6457 P6と出会ったのは5年くらい前でした。うちの母の友人が指一本触れず にいたP6をくれたのです。 それからというもの、P6を毎日のように使いました。もちろんソフトも なく、(うんよく、PC−6031SRがツクモに腐るほど置いてあったの でデータレコーダは買っていないので、付属のソフトは使えない。)ベーシ ックのみです。この文字さえ扱えればP6を動かせるんだ、と思いながらや る人が多いのであろうが、私の場合そんなこと考えずに、本を見ながらベー シックをやっていた。つまり覚えようなんて考えていないのである。今思う と、どうしてベーシックが使えるのか不思議なくらいで、英語が得意なのか と言うとそうではない。私は英語と社会が苦手なのである。 短いがP6の出会い(ベーシックの出会いでもある)はこんなところであ った。 B.6270 私が最初にP6を購入したのは7年くらい前だと思います。PC−600 1で、いっしょについていたUFOくずしというプログラムで遊んでいまし た。しかしデータレコーダもなく、カセットテープを使っていたのでSAV Eができなくて、本のプログラムを苦労して打ち込んだものの保存できない ため、その後はほとんど使っていませんでした。最近になってPC−600 1mkU、ディスプレイ、FDD、プリンタ、データレコーダを購入したけ れど、使えないキーがあり、またシステムディスクやマニュアル類もなく、 いまいち使おうという気になりません。 数週間前になって、PC−6601を購入し、FDDが内蔵してあり、シ ステムディスクやワープロソフトが付属しており、ようやく使ってみようと いう気になってきたところです。 C.6600(特別会員) 私のP6との出会いは元祖P6のパピコンでそのころは大変すごいもので した。 中学生の私に89800円という金額は高くてすぐ買えるものではなかっ たが、友人がFM−7を買うのでそのときに必要なくなったP6を売っても らったのがP6との出会いである。最初にやったゲームは「ミステリーハウ ス」と「AXシリーズ」で、ミステリーハウスなんかはものすごくおもしろ かった。 そのあと88を買うのにP6は売っていまい、それから4年後にPC−6 601、その1年後に66SRを手にいれ、またP6を使うようになった。 今でもゲームとかはやるけど私が思うには画面など以外はあまり98、8 8のゲームとかわらない、いや、P6のゲームの方がおもしろいものもたく さんあると思うし、アジがあるゲームが多い(ただワープロなどは使えたも のじゃないけれども)。今のパソコンがあるのはP6シリーズのおかげだと 思う。 恆纒\から一言 ひとことといっても結局は私もこのテーマについて述べることになってし まいました。 私のP6との関わりは過去のSAVEにくわしく書いてありますが、ここ ではそのダイジェストということで書きたいと思います。 1982年、まだパピコンが出て間もない頃、私はその街での「ゲームセ ンターあらし」と呼ばれ、数々のゲームでハイスコアをぬりかえていた。そ んなある日、デパートで3台のパソコンに目をつけ、そのゲームでもハイス コアを出してしまった。1台のパソコンで何種類ものゲームができることか ら、そのうちのPC−6001に目をつけたのがP6との初めての出会いで あった。それからというものは、毎日通っていたゲームセンターからパソコ ンショップへと変わり、店員ともなかよくなってしまった。そして自分がパ ソコンを持ったのは1983年の冬であった。そのときはPC−6001m kUであった。 1986年の修学旅行で秋葉原へいき、ソフマップでPC−6601SR の中古を当時超破格値で購入した(3万くらい)。その後PC−6601S Rは2回も取り変わったのであった。このころからパソコンサークルの開設 準備に追われ、1988年4月にSAVEを開設した。 現在では66SRはフル装備となり、ハードもソフトも極めた状態となっ ている。自分でパソコンを持つからには完全な知識でありたいと思う(88 や98は無理だろう)。みなさんはどうであろうか。 <SAVEのバックナンバー、編集を振り返る> SAVEも30号を発行するまでに至りました。30号といっても発行が だいたい隔月ですから期間としては5年間、絶えず続けてきました。ここで、 創刊号はどんな内容だったのかを振り返ってみましょう。ここでイメージス キャナでもあれば現物をこの文面内に取り込む事ができたのですが、ここで は電算化されたものを取り込む事にします。 「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「 PC-6000,6601 情報誌 SAVE 創刊号改訂版 今号の内容 ・今後の活動内容 ・ディスクサ―ビスのお知らせ ・そのた まずは「SAVE」に御入会してくれて有難うございます。この会では最 近ではほとんど取り扱ってもらえなくなったP6シリ―ズの灯を消すことの ないようにとこのサ―クルを開設したわけです。私の知人で6000シリ― ズを持っている人だけでも10数人います。しかしその中でPC−6601 を持っている人がいません。したがってこの会の中で6601を持っている ひとがいたら何かとご協力をお願いします。(PC−6001,PC−60 01mk2,PC−6001mk2SR,PC−6601SRの人はいるの ですが・・・。) また、会員の中で札幌市内、またはその近郊に住んでいる人がいましたら 御連絡下さい。直接会っていろいろと情報交換しましょう。 とりあえず、今のところ会報は季刊という形でお届けするつもりですがも しかすると月刊になるかもしれません。はっきりしたことは、のちほど連絡 します。 最近、P6のニュ―ゲ―ムが全く出ていません。しかし、今まで出てきた ゲ―ムは数多くあります。その中のゲ―ムを改めて見直そうではないか。例 えば、あの革命的な前進となったタイニ―ゼビウス、動きがいいスペ―スハ リア―などと画面はいまいちだがなかなかのものを持っています。 PC−6601SRユ―ザ―へ 貴方のお手持ちの市販ソフトで自分でやってもどうしてもディスクに落と せないソフトがありましたらテ―プとディスケットをSAVE編集部(現事 務局)までお送りください。ソフトのテ―プは完動するものであればバック アップしたものでも構いません。 現在確認したところではほとんどのソフトがディスクに落とすことができ ます。 66SRでドアドアmk2が出来ないのは御存知でしょうか。しかし、デ ィスクに落とすと出来ます。(タイトル画面付)。しかし、6001mk2 で動かないソフト(6001用ソフト)は当然のことながら動きません。 尚、6601の人はためしにディスケットをフォ―マットして送ってみて 下さい。何しろ6601SRでsaveするので動くかどうかわかりません。 もし動いたら連絡ください。 ※後に動作しないことが確認されました。また、SAVEでは 後に6601を購入したので上記のような心配はなくなりま したので御安心ください。 このように、現在の編集形式に直したら1ページにもなりません。今、改 めて見てみるとP6の知識がまだ充分ではなかったので66SRで1Dフォ ーマットのディスクが読み書きできるかどうかが分からなかった時期でした。 また、当時は66がなかったもので実験する事ができなかったのです。SA VE発足当時は事務局(当時編集部)には66SR1台しかなく、SAVE の発行も手書きで、ワープロ化したのは臨時1号からで、この当時は札幌中 央郵便局に自由に使えるワープロがあったので気合いをいれて入力していま した。しかし、記録装置がついていなかったので文書は保存する事ができず、 プリントアウト後、消去してしまうという状態でした。現在でもその原版は 残っています。8号からMS−DOSファイル化され(当時はJS−WOR DというPASOPIA1600のワープロソフトで入力していた。JS− WORDはPC−100の付属ワープロソフトでもあったが、PC−100 は2Dだったため2HDのPASOPIA1600とは互換性が悪かった)、 現在に至っています。 ここで、私が気に入っていたコーナーを挙げます。それは9号のユーティ リティコーナー増刊の連射測定プログラムです。これは会員から送られたオ リジナルプログラムであり、当時のゲーマー担当が燃えたソフトでした。 <ユ―ティリテイ―コ―ナ―増刊> SHIFTキ―の連射測定プログラムをお届けします。これは会員投稿の ものです。とてもよくできております。どうもありがとうございました。ち なみに、モ―ド1、ペ―ジ2です。ゲ―マー担当にやらせたところMAX値 は128でした。 10 CLEAR100,&HCFFF:GoSUB40:SCREEN 3,2,2:CLS 20 EXEC&HD000:A=PEEK(&HD040) 30 PRINT A+1:END 40 FoR I=&HD000To&HD03F:READ A$ 50 PoKE I,VAL("&H"+A$):NEXT:RETURN 60 DATA 0E,28,11,00,F0,CD,61,10 70 DATA 3D,20,FA,21,00,00,22,28 80 DATA FA,21,40,D0,36,FF,CD,61 90 DATA 10,3D,28,FA,34,7E,E6,03 100 DATA3C,47,1E,03,AF,B3,CB,0F 110 DATACB,0F,10,F9,46,CB,38,CB 120 DATA38,58,12,3A,29,FA,B9,D0 130 DATACD,61,10,3D,20,FA,18,D6 SAVEの原稿も電算化するとバックナンバーからこのように簡単に取り 込むことができるので非常に便利ですね。 SAVEのおかげでP6の知識も豊富になり、容易に扱う事ができるよう になりました。最近の活動としてはドリームランドが3.5インチに落ちた 事です。しかし、落としたといっても66SRの1Dモードなのでセーブす る事はできません。これをセーブできるように努力しているところです。こ こで、66SRの1Dモードという言葉をはじめて聞く人もいると思います が、ここで説明します。 66SRにはN66−BASICが内蔵されていますが(メニュー画面で ファンクションキーの4を押すモード)、このモードではF4を押すとカラ ーによる5つのモード選択画面が表示されます。しかし、フロッピーディス クのトラック0、セクタ1の先頭の3バイトを’SYS’にして、N66( 1D)の初期番地にとばすように設定すれば6601と同様に白黒のモード 選択画面が直接出てきます。こうすると、N66の1Dモードになり、1D フォーマットのフロッピーが読めるようになりますが、書き込む事はできま せん。理由は1Dと1DDではフロッピードライブのヘッドの形が違うからです。 <雑談コーナースペシャル> 今回で最後ということで雑談という雑談はすべて載せたいと思います。ペ ージを気にせず載せるということは気持ちがよいものです。ではまずこの雑 談からどうぞ(ちょっと古いのもありますが)。 ・秋葉原情報 3月13日(及び4月始め)に秋葉原へ行ってきました。 3月13日(土) ヒューズを買わなくてはいけなかったので、ついでにいろんな所を回って きました。 ★ソフマップ3号店1階<新品ハードコーナー> PC−9801NS/R ¥203 K PC−9821modelS1 ¥219.3K PC−9801BA/M2 ¥239.8K PC−9801BA/U2 ¥229.8K PC−9801BX/M2 ¥165 K PC−9801BX/U2 ¥156 K PC−9821Ae/M2 ¥269.8K PC−9821Ae/U2 ¥258 K PC−9801NA ¥225 K ★ヒロセ無線3号店2階 PC−H98model80 ¥238 K ★ヤマギワ テクニカ店2階(この店はバザールでゴザールがいっぱいだっ た。) PC−9801BX ¥200 K アルファ・データ AD−F35A ¥ 49.8K 外付けディスク TEXA ステーション120 ¥ 89.8K ハードディスク ★メッセサンオー2 おやー!?なっなんだ?この黄色い店は?!……(階段を昇る)……… げげっっっ、同人ソフト(9割9分、18歳未満禁止もの)がいっぱいだー!!! と、言うわけで(どういう訳だ?)同人ソフトONLYになってしまっていました。 どーしましょっっっっ。 【追伸】 4月に学校の帰りに秋葉原へいきましたが値段はそんなに変わってなかったと思います。ああ、ちょくちょく秋葉に行ける東京都民でよかった(?)・・・ (6457) ・札幌情報(7月現在) 先日直販というところに行ってきましたが、PC−9821Ap/U2新品 がディスプレイ付き(PC−KD1521)で35万円だった。もし、ディス プレイがなくて30万位だったら即買っていたのに・・・。 また、ここにはベーシックマスターレベル3やFM−7等も中古で売ってお り、誰も買う人がいない(どれも5千円以下だが)。 8月1日に主に札幌地区で民放2番目のFM局FMノースウエーブが開局し ます。これまでのFM北海道と違い、ノリのいい曲ばかり流れています。現在 はサービス放送期間ですが、聞いていてあきがこないのがよいです。私はあま りTVは見ない方なので嬉しい限りです。 (代表) ・札幌情報(10月現在) オムロンの144モデムが約4万、テクサのSCSI240Mハードディ スクが69800円、IDE240Mが49800円でした。先日、マクセ ルの5インチ2HDが10枚で598円で売っていました。 札幌では今、劇団四季によるオペラ座の怪人が公演されています。前にも CATSが公演されてました。 先日、姉夫婦の家にBSアンテナを設置しに行ってきました。業者に頼め ば何千円とするのでそれだったら自分でつけろと言いたいのですが、何せめ んどくさがりやなので私に頼んだと言うことです。私も結構こういうことは 得意なので便利屋扱いにされているのかもしれません。悪戦苦闘の2時間、 やっと衛星放送が見られるようになりました。あとはいつNHKの集金の人 に見つかるかとことで、それまではただで見られるでしょう。私の家にもB Sアンテナは付いているのですが、私の場合、アンテナを室内に付け、常時 カーテンで覆っているので外からみたら分からないようになっています。こ れでも充分見られますが、ノイズがはいるので録画するときなどは窓をあけ ています。しかし、冬はとても寒いです(あまり録画するものはないのです が)。 (6882) <PC−6000シリーズの歴史> おことわり この記事は私の記憶を元に書いてありますので、多少事実と相違する点が ありますが、ご了承ください。また、今号の最後にP6シリーズすべてのカ タログが掲載されていますので、そちらを参照してください。 1981年11月、それまでの主流だったPC−8001の下位機種とし てP6は誕生した。下位機種といっても8001より優る点がいくつもあっ た。グラフィック画面の採用、PSG3重和音等の機能がついて、約半額の 89800円での登場であった。 このパソコンの売りものは「パピコン」と愛称がつき、誰でも使える、すぐ に使える、というものであった。例えば、家庭用テレビにも接続でき(今の ファミコン感覚、この当時はまだファミコンは発売されていなかった)、コ ンピュータを難しいものから遊ぶものとして定着させた。20代半ばの人で 現在パソコンを使っている人のほとんどがP6におせわになっていることで しょう。しかし、こんなP6でもいろいろと不人気だったものがある。PC −8001のような密着したキーボードから1つ1つ離れているいわゆる「 キャラメルキーボード」は、形が変で押しづらいことや、ちょっとしたプロ グラムミスでもすぐに暴走するなどといったものがあった。 1983年7月、8001がmkUを出して4カ月、そろそろ新機種が出 る頃だろうと思っていたときにPC−6001mkUが誕生した。これは、 車でいうフルモデルチェンジであった。キーボードも密着型になり、デザイ ンも変わった。さらに大きな違いはパソコンが「しゃべる」のである。しゃ べる機能はそれまではPC−6053のボイスシンセサイザで可能であった が、これを内蔵した形になる。また、スーパーインポーズ端子もつき、オプ ションでパソコン画面とテレビ、ビデオの画面と合成することができる機能 や漢字表示も搭載され、そのほかの機能をあわせると次の式が成り立つ。 PC−6001mkU=PC−6001+PC−6001R+PC−600 6+PC−6011+PC−6053+αである。 また、40桁×20行のテキスト画面を実現させる新しいBASIC、N6 0m−BASICが搭載された。mkUからCMには武田鉄矢を採用して、 話すパソコンとして一世を風靡した。 1983年12月、PC−6000シリーズにフロッピーディスクドライ ブを搭載して新しくPC−6601が登場した。これは、PC−6001m kUにフロッピーとボイスシンセサイザに音階がついたのと、JIS第一水 準漢字ROMが使用できるようになったものと考えるとよい。PC−660 1が出たことによりしゃべるパソコンから歌うパソコンとなった。フロッピ ーベースになったことで、ワープロソフトも付属するなどパピコンから考え るとかなりの進歩になった。しかし、フロッピーディスクがこの当時は結構 値が高くて、市販ソフトでもテープでは3000円位のものでもディスクで は6000円くらいと倍の値段であった。 66のボイスは鼻声のようでとても聞きにくく、歌を歌わせると非常に音痴 であった。また、ディスクアクセスが結構うるさいのも印象的であった。 1984年7月、このままモデルチェンジをしないのかと思っているうち に、スタイルも内容もまったく新しいPC−6601SRとPC−6001 mkUSRの2機種が同時に発売された。66SRでは本体とキーボードか ワイヤレスで制御できるようになり、同時発売のディスプレイテレビをつな げることによりTVタイマやビデオテロッパが付属され、現在では標準?と なっているテキスト画面で80桁×25行を実現した。このため、それまで 標準でついていたRF端子やビデオ端子がオプションとなった。また、これ までのBASICではインタプリタ内の予約コードが上位機種(80,88 )では互換性がなかったが、機種による個々の命令を除く基本命令では予約 コードが一緒になったN66SR−BASICが搭載され、BASICモー ドで6(厳密には7)種類となった。また、フロッピードライブも1Dから 1DDと容量が倍になった。また、音楽もFM音源を採用してFM3重、P SG3重の計6重和音と拡張された。しかし、88SRと同じLSIを搭載 しながら、88での音を完全に再現できないのが残念である。この66SR には致命的なバグがあり、初期バージョンではデータセーブができない、6 00ボーが読み書きできないというものだった。 1986年頃からP6は徐々に衰退し、雑誌にも取り上げられなった。P 6全盛期には素人の投稿ソフトがどんどん載せられ、すばらしい作品がいっ ぱいであった。特に、工学社発行のI/O、PIOに載っていたソフトはい いものばかりだった。このPIOも86年10月で終わってしまい、また、 ラッセル社発行(以前は新紀元社)のPCマガジンも市販ソフトのリストを 毎月のように載っていて、中には「リザード」まで載っていた。これも衰退 期にはP6通信という記事が載っていたが、88年9月で終わってしまった。 そのほか、Oh!PCなどもあったが大体この頃からP6関係記事がなくな った。しかし、現在でもベーマガだけは細々と読者投稿ソフトが載っている 次第である。これも虫の息でいつなくなってもおかしくない。 88や98が一般的になるのがあと2年くらい後であったら66SRの上 位機種がでていたと思う。それはオプションの予約語がすべて対応になり、 88とデータの互換性を持たせたなら66はまだ長生きしていたかも知れま せん。しかし、3.5インチの66に対し、5インチの88では互換性も何 もないでしょう。 こうしてP6は消えてゆくのである。今現在、P6の電源をいれている人 は何人いるのだろうか・・・・・。 <29号アンケートの結果> 今回のアンケートは回収率が低くデータが集められませんでしたが、集ま ったものについて紹介したいと思います。 まず、SAVEに対する印象としてはほとんどの人がよいと答えていまし た。逆に、アンケートを出さなかった人は悪いということになるのでしょう か。次に、SAVEで得たP6関係の情報としてはP6用のソフトが入手で きることというのがほとんどでした。そのほかのアンケートの結果として主 な回答を以下に記述します。 §いままで印象に残ったSAVEの記事 ・P6ソフトのコピーの是非を問う論争 ・「RS232Cボード」が完成した(事実失敗)記事 §ぜひやって欲しかった企画 ・RS232C ・P6ゲームハイスコア合戦 ・P6の構造について ・拡張ソケットを利用したプログラム開発 ・P6の初歩 §SAVEに対する意見、感想 ・98や88を使うからP6を使わなくなる! ・これからもがんばって欲しい ・アセンブラ講座を開いて欲しい このように、集められたデータも少なく、SAVEが衰退していっているの がよくわかります。 <P6を使いこなそう!> P6を使いこなすにはソフトとハードを熟知しなければなりません。私も ハードにはいろいろと手をかけましたが、いろいろと制限があり、思うよう に動いてくれません。そこで、ソフト的知識を身につければある程度までは 熟知できると思います。 機械語が分からない方へ最低次の言葉は覚えておいた方がよいでしょう。 1:CALL…BASICで言うGOSUB命令、機械語はCDHです。E XECと考えると分かりやすいのでは。 2:RET …BASICで言うRETURN命令、機械語ではC9Hです。 3:LD …BASICで言うLET命令です。これはレジスタによって 違いますが、8ビットですとAレジスタ、16ビットですとHLレジスタで しょうか。前者は3AH、後者は21Hです。 4:JP …BASICで言うGOTO命令です。機械語ではC3H。し かし、やたらとつかうと後ではまってしまいます(暴走)。 そのほか、出てくる度に解説します。 まず、市販ソフトのIPLプログラムを解析するのがいちばん早いでしょ う。私も機械語の勉強をする上での第1歩はこのことからでした。何でもよ ろしいですからテープ版プログラムをロードさせます。CLOADしてOK がでたらとりあえずLISTを見てみます。すぐに全部出ていればよいので すが、たいていはREMだけとか何も出ないはずです。このプロテクトのは ずし方は以前にも紹介しましたが、もう一度紹介します。プログラムの格納 番地はモード、ページ数によって違います(表参照)。そこのXXX3H、 XXX4Hを0にすると見ることができます。ただし、この場合先頭の行番 号は0になります。というのはプログラムの先頭行番号格納エリアがXXX 3、XXX4Hなのです。ここをプログラム終了行番号FFH,FFHにし ておけば機械側でプログラムの終了と判断してしまいます。しかし、実行す るときはこのままだといけないのでプログラムの先頭で直しているはずです。 ただし、GOTO文やGOSUB文があるときのみで、IPLなど使わない 場合はそのままにしておくことが多いです。REM文だけが表示されている ときはこの番地ではうまくいきません。モニタを呼んで2バイト連続してF FHになっているところを探して、そこを0にするとリストが見られます。 表.モードとアドレスの関係 OCCCCCCCCoCCCCCCCCoCCCCCCCCCCCCCCS E モード E ページ E 先頭アドレス E _CCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCg E 1,3 E 1,2 E C400H E _CCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCg E 2,4 E 1〜4 E 8400H E _CCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCg E 5 E 1,2 E 8000H E _CCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCg E 5 E 3 E 8800H E _CCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCg E 5 E 4 E C800H E _CCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCCg E 6 E E 8000H E WCCCCCCCCwCCCCCCCCwCCCCCCCCCCCCCC[ リストが見られたら大体のプログラムにはIPLのマシン語がDATA文と して入っています。では、あるプログラムを例に挙げて説明します。 この起動モードは4、ページは1です。従って、先頭アドレスは8400H です。ロードしてLISTをとってもすぐOKがでます。これは先に述べたプ ロテクトです。ここで、 POKE&H8403,0:POKE&H8404,0 としてLISTをとると見事?にリストが出ます。モニタを使ったやり方とし てはモード1〜4でモニタを使う方法、 OUT&HF0,&H11:EXEC&H75C3 とやってから60mkU、66では?を、SRでは@を押してからS8403 [スペース]でFFHを00に変えるとよいです。 次に、DATAの内容です。 100 DATA CD,61,1A,21,40,86,11,C0 110 DATA 71,06,C9,CD,70,1A,B8,C2 120 DATA 23,FA,CD,70,1A,B8,CA,2A 130 DATA F4,CD,70,1A,77,23,1B,7B 140 DATA B2,C2,31,F4,C3,AA,1A 上の網かけの部分がメインプログラムの先頭アドレス、大きさです。21Hが アセンブラではLD HLとなっています。したがって、HLレジスタに86 40Hを入れるという命令です。次の11HはLD DEとなっていて、DE レジスタに71C0Hを入れるという命令になっています。このあとの命令で 8640Hから71C0H分ロードせよということになっています。従って、 ディグダグの機械語部分のアドレスは8640Hから71C0HをたしたF8 00Hまでということになります。 アドレスがわかったらIPLプログラムを細工します。そうしないとロード が終わったらすぐに実行してしまうからです。一般に、IPLの最後の機械語 はCD,AA,1A,C3,X1,X2となっています。CD,AA,1Aと いうのはアセンブラではCALL 1AAAHということで、ロードをクロー ズするという内部サブルーチンになっています。C3,X1,X2はJP X 2X1Hでこの番地に行け、つまり実行せよということでこのC3をC9にす ればBASICに戻ります(中にはならないものもある)。そうしてOKが出 たところでBSAVEします。こうしてうまくディスクに落としたら、IPL を改造します。IPLのローダをEXECするところでBLOADをして、そ のあと EXEC X2X1H でめでたく実行するということです。これはほんの一例にすぎません。すべて がこのようにうまくいくとは限らないのでいろいろと思考をこらしてください。 PC−6601SR+PC−TV151を所有している人は特にP6を活用 していると思います。それはP6を利用したタイマーがわりに使えるというこ とです。TV予約で好きな時間に好きなテレビ番組がセットされるからです。 もちろん、P6も起動できます。従って、目覚ましに使うのであれば、目覚ま し音楽を鳴らすプログラムをオートスタートでセットしておくとよいでしょう。 私の場合、日によって音楽が違うというやり方をしています。具体的なプログ ラムは次のようにします。まず、プログラムを31種類用意してファイルネー ムを01から31とします。そして、 RUN RIGHT$(DATE$,2) というコマンドをオートスタートさせるようにセットします。そうするとその 日付によってプログラムがスタートします。しかし、目覚ましに使うのであれ ば派手な音楽にしないと慣れてしまって逆に子守歌に聞こえることがあるので 注意したほうがよいでしょう。 まだまだいろいろな活用方法があると思いますが最近の機種にはかないませ ん。あくまでも趣味として活用するとよいでしょう。子供向けプログラムの場 合はまだまだいけると思います。 <ビデオゲームのプログラミング> 最終回 PC−6000シリーズを振り返って かえる 今年の夏は自然災害ばかりで全然夏らしさもなく終わってしまいましたが、 いかがお過ごしでしょうか。今回はいささか個人的ではありますが、自分にと ってのPC−6000シリーズというものを振り返って今までの総まとめをし たいと思います。 現在潟iムコにて業務用ゲームのプログラムを作っている私ですが、その原 点はPC−6000シリーズにあることは言うまでもないでしょう(「ランド ストーカー」の内藤寛氏、「ドラゴンクエスト」の堀井雄二氏など、他にも多 くいますね)。さらに言えば、そのPC−6000シリーズ、いやコンピュー タというものに出会ったきっかけというのがあって、それが「こんにちはマイ コン・すがやみつる著」という一冊の入門書でした。この本を弟が買って来た のが私が小学6年生の時。内容は主人公のあらし(当時コロコロコミックに連 載されていた人気漫画が「ゲームセンターあらし」の主人公)がPC−600 1を使ってBASICの9つの基本命令(IF・・THEN,GOTO等)で 簡単なプログラムを作る、といったものでしたが、コンピュータの本質をさり げなく、それでいて的確に理解させられる、とても優れた入門書でした。2巻 まで出ていて、こちらの方では簡単ではありますがゲームを完成させるまでを とてもわかりやすく解説してあります。以後さまざまな入門書を見る機会があ りましたが、現在までも最高の入門書は「こんにちはマイコン」であると思っ ています。(初めて読んだ物ということを差し引いても)もっとも、当時はパ ソコンなど買うような金はなかったので、もっぱら紙にプログラムを書いて、 「実行すればこう動くはずだ!」という想像をして楽しむという信じられない ことをしていましたが。 でも、そのとき買えなくてよかったと思います。何しろすぐ後にPC−60 01mkUが発売されたのですから。15色グラフィック!!64KB大容量 RAM!! 音声合成!! 漢字ROM!! あまりの進歩にめまいがする程 ショックを受けたのを覚えています。それから約1年後、途中JR−200 (松下)、SMC−777(ソニー) 等のマシンに浮気しながらも、PC−6001mkUを購入するに至ったので す。現在はPC−6601SR2台を所有し、未だに使っています。当然すで にROMは全部逆アセンブル済みで、全I/Oポートも解析しており、ソフト による様々な高速化や機能アップをほどこし、正に味わいを尽くした感があり ますが、それでもPC−6001シリーズはいい機械だった、と断言できます。 当時から、低価格機の宿命か、高性能な方ではありませんでした。しかし、 コンピュータとしてのバランスという点ではかなりいい線を行っていたように 思います。何が言いたいかというと、CPUパワーとグラフィック、サウンド 等の機能がかなりうまくかみ合っていたのではないか、ということです。 バランスの悪かったマシンといえば、当時で言うと例えばPC−8801。 あのCPUパワーに対し、あのVRAMは大きすぎたのか、BASICでの画 面クリアに6秒もかかるという有り様でした。そしてBEEP音のみの貧弱な サウンド機能。結局、ゲームにもろくな物がなく、使っていてもつまらないき かいでした(SR以降はかなりよかったのですが)。FM−7のように、優れ たCPUに当時ではまずまずのグラフィックとサウンド機能を持っていながら、 キー入力がいいかげんですごくゲームに向かなかった機械もありました(設計 した人は、まさかFM−7がゲームに使われるとは思ってなかったそうです)。 MSXはその役割がホビーやゲームを楽しむための入門機であったはずです が、ゲームはまずまずのものがあったにしても、その機能は入門機としては最 悪でした。何が最悪かというと、グラフィックの仕様です。解像度はいいとし ても、「横8ドット内には16色中2色まで」という色数の制限です。少しコ ンピュータに慣れていれば、その理由にはうなずけますが(つまり2バイト使 っていて1バイトはドットの有無8ドット分を、もう1バイトはアトリビュー トとして背景、ドットそれぞれに16色(4ビット)指定している)、初心者 からすれば「なぜ?」という感じでしょうし、実際ろくな絵が描けません。 PC−6000シリーズはカタログスペック的な数値(解像度、メモリ、色 数、クロック数etc・・・)こそ低かったですが、これといった欠点もなか ったように思います(ちょっとほめすぎかな?)。 しかし、ゲーム性という点ではPC−6000シリーズには多くの優れたゲ ームソフトがありました(このゲーム性という観点でゲームをとらえた場合、 グラフィック、サウンドなどの要素は二の次になります)。そんな優れたゲー ム達を、今ここで再び思い起こしてみましょう。 ・AX−5 オリオン/クエスト(アスキー) 当時アスキーはAXシリーズとして何本かのソフトをまとめてパッケージし て安価にリリースして好評を得ていました。たいていはお手軽な、言ってみれ ば値段相応のゲームであったように思いますがこのAX−5だけは別格でした。 当時では最高水準に近い3Dゲームが、2本も遊べたのですから。「オリオン」 の方は宇宙空間での3Dシューティング。敵機はすべて長方形の組み合わせで 作られていたので静止画面こそぱっとしませんがそれゆえの高速処理や目標に 迫って巨大化する敵機の迫力は現在ですら通用する物があります。加減速をシ フトキーのみで行わなければならない、ジョイスティックに対応してない等不 都合はありますが、ゲームとしての「熱さ」に色あせる物ではありません。 「クエスト」の方は3D迷路ゲームです。やはり動きはとても滑らかで、当 時としては屈指の出来でした。現在のパソコンならこの程度はBASICでも 余裕で出来るのでしょうけど。 ・プラズマライン (テクノソフト) このゲームも先のオリオン/クエストと同様、3Dタイプのゲームです。プ ラズマラインの最大の売りはおそらく8ビット機では初めてであろうポリゴン によって表示されており、陰面処理やシューティング(もどき)も行ってもな お高速に動いていたことは今考えても脅威的です。もっとも、演算自体は高速 化のために小数部をあまりとってないためか、結構誤差が大きいようでした。 物体の形が角度によって変わってしまっていたのはこのためです。それでも当 時のコンピュータ少年達のあこがれであった3Dグラフィックを味わえる喜び は少しも色あせる物ではありません。ゲーム内容の方も1つの星系を舞台にし たスペースレースゲームという壮大な物で、海賊が襲ってきたり、秘密の基地 が途中にあったりとさまざまな要素が詰め込まれていました。途中が結構間延 びするため、かったるくなるのが残念でしたが、このシステムでもっといろん なゲームを遊んでみたかったと思っていたのは私だけではないでしょう。 ちなみにこのゲームは当時のあらゆるパソコンで発売されましたが、実はP C−6001mkU版をSRシリーズで実行したのがもっとも高速だったので す(色がモードの関係でよくなかったですが)。さらに余談ですが、当時の歌 番組「ザ・ベストテン」でアルフィーが歌っているとき背景でX1版プラズマ ラインをビデオで早送りしたものを流していました。このことからも、いかに このゲームの画面が他より抽んでいたかがわかります。 ・エフォームン(システムソフト) システムソフトのスタープログラマーとして有名だったTYNYAN氏の作 品です。宇宙空間を8方向に飛び回って、レーダーで敵の基地を破壊するとい う、「ボスコニアン」(ナムコ)とほとんど同じシステムのゲームです。特筆 すべきはその処理スピードで、3重スクロールする宇宙の背景に何十機も飛び 回る敵機、これでほとんど処理落ちしなかったのです。その上、パワーアップ や隠れキャラもいて、画面モードもメイン画面とステータスが面でモード4と モード3を混在させるなど、何もかもが先進的でした。タイトルやランキング、 ルーレットのようにカウントアップするスコア表示など、細部の凝りようも並 ではありませんでした。TYNYAN氏は他にもPC−60シリーズを始めあ らゆる機種で名作を生み出しており、最近でもPC−98シリーズで「ソリッ ドランサー」(ハードディスク専用の3Dポリゴンシューティング)を作って います。今後も第1線で活躍し続けてほしい人です。 ・ドアドアmkU(エニックス) 「ドラゴンクエスト」シリーズで有名な中村光一氏の作品です。元はPC− 88シリーズの「ドアドア」でしたが解像度の関係でキャラクタが大きくなっ てmkUとして登場しました。下位機種への移植ということで、一見スケール ダウンしたかのように見えますが、プログラム的にはこちらのほうが練られて おり、新キャラ、BGMの追加もあいまってより遊べるようになっています。 結局、ドアドアmkUはPC−88SRシリーズ用に逆移植され、ファミコン 版も出ました。ゲームもとてもおもしろかったので覚えている人も多いと思い ますが、テープユーザーの人はそれ以上に20分近いロード時間中ずっと曲が なり続け(それもかなりレベルの高い)データを読み込みながらタイトル画面 を表示して(それもかなり美しい絵を凝った方式で)いたのですから。あまり に高度なことをやりすぎてロード失敗もときどきありましたけど(笑)。未だ に私は簡単な方の50面さえ解いていませんが。5の倍数面で変わるBGMは 何曲あるのでしょうか。PC−60シリーズ用のプログラムも入っていてお得 なソフトでしたね。 ・ロードランナー(システムソフト/ブローダーバンド) このソフトが出た頃日本はアメリカにソフトウェアでは10年遅れていると 言われていました。日本のソフトがテープ版が主流だったときにアメリカでは すでにフロッピーを主体としたより優れたソフトが作られていたのです。ロー ドランナーもそんなあこがれのソフトの一つでした。それがPC−60シリー ズに移植される…テープ版ではありましたがそれでも大満足でした。しかも、 同時に移植されたPC−88版や98版は画面サイズ(というよりキャラ数) がオリジナルより2キャラ少なかったため、移植度という点では60版以下で した。その後出たFM版やX1版は他メーカーの移植ですが的のアルゴリズム が明らかに違っていました。ということは60版ロードランナーがもっともオ リジナルに近いということではないでしょうか。さらに言えば、カラーでしか もディスク版であるPC−6601用が(こちらは私には入手できませんでし たが)。その後、ファミコン版もハドソンから発売されましたが、こちらの方 はキャラクタも大きく画面もスクロールするというほとんど別物となっていま した。当時、私はファミコン版しか見てない知人はPC版を見てキャラクタの 貧弱さをバカにし、「おまえには何がわかる!?」という感じで大げんかにな ってしまったというどうしようもない思い出もあります。チャンピオンシップ 版の面を作ったりもしたし…。もうゲームの見本みたいなゲームでした。 ・ハイドライド(T&Eソフト) もう、このソフトをあげずにパソコンゲームは語れないでしょう。RPG自 体がまだ発展途上にある中で突如現れたアクティブRPG。当時としては群を 抜いて美しかったグラフィック、ファンタスティックな世界。程良い謎、高度 なプログラム処理。誰もが夢中になったのではないでしょうか。アーケードで すら、「ドルアーガの塔」が出たばかりで、とても新しいジャンルでした。以 後このアクティブRPGが1つの時代を築いたことはご存じでしょう。残念な がらPC−60シリーズではあとは「トリトーン(ザインソフト)」くらいし か出ませんでしたが。当時は斬新であったグラフィックの重ね合わせ処理も、 すっかりありふれた物になっています。謎も、ストーリーも、よく考えたらそ んなにボリュームがある物ではありませんでしたし、ゲームバランスも悪いと ころもありました。それでもこのゲームは今でも好きです。フェアリーランド での冒険もいつまでも忘れられません。今のゲームが忘れている、大事な大事 な何かを、このゲームは持っていたのだと思うのです。 ・大脱走(キャリーラボ) 今ではなきメーカー、キャリーラボの作品です。はっきりいって、ここで挙 げているゲームの中では、あまり話題にならなかった方だと思います。それで も取り上げたのはなぜかというと、このソフトの志がかなり高いところにあっ たことを感じてとれたからです。 まず、アトラクトのゲーム説明。操作やルールの複雑なゲームでしたが、実 際のゲーム画面でキャラクタを動かしながら説明しており、とてもきちんと作 ってあるという印象でした。ゲームの方も今見ても盛りだくさんの内容で、よ く練られた面構成、多くの攻略法、豊富なアイテムやパワーアップ、高度なプ ログラムと、感心することばかりでした。やはりCPUパワーの弱さは感じら れましたが、SRシリーズで遊ぶとかなり早くなります。いろんな隠しアイテ ムを見つけるのに夢中になった人も多いのではないでしょうか。 また、この頃からゲームプログラムの作り方が変わり始めました。それ以前 は、どんなプログラムも、その機種専用にそのつどかいていました。この方法 は多くの機種で作る場合を考えると全く無駄な方法です。そこで考え出された のが、画面や音関係のハードウェアに依存する部分のみを関数の形で専用に書 き(引数は機種によらず共通にする)、メインルーチンはCPUが同じ機種な ら完全に共用するというやり方です。これ以後、同じゲームが多くの機種用に ほぼ同じ内容で発売されるようになりました。大脱走もそんな作品の一つで、 ほぼ同時期に主要パソコンのほとんどで発売されました。 ・電波新聞社移植シリーズ もっといろんなゲームについて、挙げていきたいのですが一時代を築いたP C−60シリーズですからキリがありませんので このシリーズで締めくくりとしましょう。これらのほとんどを誰もがプレイし たことがあるのではないでしょうか。 § ギャラクシアン(ナムコ) スタートミュージックが省略されていたり、アルゴリズムも全然違っていて、 移植度は低かったけど、それなりには楽しめましたね。少なくともハドソンの ベジタブルクラッシュよりは。 § パックマン(ナムコ) アルゴリズムが全然違う、動きがぎこちないなど、問題はありました。慣れ れば永久にプレイできたからまあ暇つぶしにはいいかな、という程度ですね。 § タイニーゼビウス(ナムコ) あのゼビウスが6001で!!と大変話題を呼んだソフトでした。よく見た らグラフィックは荒いし内容も全然違っていたのですが…。 § タイニーゼビウスmkU(ナムコ) やってくれました。全16エリアオンメモリでグラフィックも(少し)グレ ードアップして、mkU用になって。ハマりました。まさか996万点になる と残機が増えまくるバグまで移植してあるとは。デモも秀逸です。 § グロブダー(ナムコ) 元のゲームはあまりヒットしてませんが、移植されて花開いたという感じで す。よくできていました。しゃべって、動いて。99面クリアすると残機1機 につき100万点ボーナス。対戦も熱かったです。隠れキャラもいたんですよ (出し方わからなかったけど)。 § ディグダグ(ナムコ) ちょっと動きが荒かったけど、よくmkUで作れたと思います。少なくとも、 このゲームの魅力は完全に再現できています。グラフィックもオリジナルより きれいでした。 § ボスコニアン(ナムコ) 画面が縦長であること以外は、すごくよくできています。元のゲームが古か ったからこんなもんかな、とは思いますが。面白さでエフォームンにはかない ませんから。 § マッピー(ナムコ) スクロールゲームなので、作るだけで精いっぱいだったのではないかと思い ます。少しバランスに難あり。楽しいですけど。 §スペースハリアー(セガ) 終わった、と言われていたPC−60シリーズに、まさかの移植でした。い きなりベーシックマガジンにカラー2ページで出ていた広告。ほとんど四角だ けの画面でしたが、「本物」の魂が伝わってきて体が打ちふるえたのを覚えて います。そして実際に目にしたとき、それが確かだったことがわかりました。 このソフトは、ゲームで最も大事なことは何かを教えてくれました。これが電 波新聞社が我々に送ってくれた最後のプレゼントなんだ、ということが感じら れて少しさみしかったけれど、それでもPC−60ユーザーで幸せでした。広 告の文章はすごかったですけど。「PC−6000シリーズではむずかしいと されていたスペースハリアーを移植しました」難しいも何も、最初から移植さ れるなど誰も予想してなかったでしょう。今でも電波新聞社はX68000用 に渋いゲームを出し続けていて、とても好きです。 さいごに ビデオゲームのプログラミング、もっと書きたいことはたくさんありましたが、 お別れの時がやってきたようです。力不足でうまく伝えられなかったことも多 かったと反省もしています。ゲームを作るということは、とてもつらい部分も 多いのですが、とてもやりがいがある楽しい仕事です。その辺のことをうまく 出せたらなあ、と思っていたのですが、どうだったでしょうか。このすばらし い仕事に就けたのも、もっとも良い時期にとても魅力のあるPC−6000シ リーズに出会えたことが大きかったと思うのです。今後、力の続く限りおもし ろいゲームを出していければと望んでいます。次はゲームセンターでお会いし ましょう! つたない文章でしたが、読んでいただいてありがとうございました。 完 編 集 後 記 拡 張 版 ・まずは大幅に発行が遅れてしまったことをおわびします。5月には原稿の8 0%が出来ていましたが、未完成のまま発行したくなかったので、ここまで延 びてしまった次第です。関係者の方々に多大なるご迷惑をかけたことをこの場 をかりておわびします。 (旧編集担当) ・ついにSAVEが終わってしまいます。6カ月でこれしか情報が集められな かったのですから無理はないでしょう。会員のみなさんも満足されたのではな いでしょうか。しかし、終わったといっても完全に活動を終わらせたわけでは ありません。会員から各種サービスの依頼を受けたらすぐに対応するつもりで す。また、当局では現在、MIDI、パソコン通信に力を入れているので興味 のある会員がいれば情報交換をしようと思っていますので、連絡をください。 (代表)